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秘伝武蔵二刀剣法[一之傳]
「應極十字之秘法」

肖像画
近代剣道家列伝中最高の大御所、高野佐三郎師範(※)が床の間に宮本武蔵の肖像画を掲げ、自宅に訪れる多くの剣道修行者たちに、この武蔵に打ち込むことが出来るかと常に問いかけ、かかる公案を通じて各修行者の剣境の深浅を測ると同時に武蔵の構えの隙のなさ、武蔵剣法の完成度の高さを讃えていたと言うなんとも面妖なる逸話がある。
その肖像画とは晩年期の武蔵が二刀を引っ提げて構えたかの著名なる肖像画であるが、この種の図は江戸期にかなり模写されたらしくある程度の点数が残っているので、武蔵に興味ある方なら目にする機会も多いのではないかと思う。
図に現れた構えは武蔵が晩年に打ち立てた二天一流では「下段之構え」と呼ばれているもので武蔵が最終的に残した極意構えの一つである。しかしここで一つ不思議なのは武蔵は他にも四つの構えを残したのにも関わらず、武蔵の肖像と言えば何故かこの下段構えの図しか残っていないことである。何方かと言えば他の、たとえば上段構えや脇構えなどの方が構図的にも迫力があり、格好がよいのではあるまいか。
いやいや、それより先に何故に天下の剣豪、高野師範はそのような地味な構えに痛く感動しその剣技の深さを賛美されたのだろうか。五方之構の中の一つ、下段構えには他の構えにはない深い術理が存在し、そこには何か特別の秘技が隠されていたのであろうか?

※ この話は高野師範ではなく斎村五郎師範のことであったと言う異説もある。何方か真かは筆者の勉強不足で確定できない。

有構無構
いかにもしかりであり、武蔵の残した五つの構えの中で実は下段構えは特別の意味合いを含む独特の極意構えであり、武蔵が晩年に至った剣の絶対境を具現化した正に究極の御姿なのである。武蔵は『五輪書』の中で「有構無構の教への事」の項目をあげ、「太刀を構ゆる事あるべき事にあらず。されとも五方に置事あれば構えともなるべし……」と言う風に解説し、固定された構えと言うものをもとより否定しているわけである。構えの本質は本来躰を司るその心にあるべし。故にこそ特に刀は構える必要はなく、単に引っ提げただけでも敵の如何なる攻撃にも対処できる心の構えとして転化することが出来る。勿論敵の動向に応じて五種の太刀の置き所は教えたがその中でも「無構え」の本質に最も合致するのは確かに両刀を下段に引っ提げただけのこの下段構えであると言えるわけである。
『五輪書』の段階では単に「下段」と呼んでいるが、村上派では「水形」と呼び習わし、また他系の二天一流では「應極」と言う名称付けもなされた。
つまり下段構えは無の構えであるからこそ、そこには無限の変化が可能となる。水は方圓の器に従いて自在にその形を変える。武術の構えもまたかくの如く、あらゆる敵の攻撃に即座に「應じることの出来る極意」の構えでなければならないのである……。

引っ提げ
そもそも多くの日本傳古流剣法の中で小太刀用法を除けば武蔵剣法以外でこの樣な引っ提げ無構えを戦闘構えとなした例を見ることは出来ない。武蔵剣法では一刀遣いにおいても引っ提げ下段を用いるが他流の下段構えは両手で保持した構えとなり、片手遣いは武蔵剣法独特の技法傳と言えるであろう。しかしながらかくした片手剣法が武蔵の独創と言う事では決してなく実を言えば神代剣法の系脈を引く古伝中の古伝操法であるとも言えるのである。武蔵の剣法はその意味では他流儀より遥かに古い歴史を持つ古式剣法の形態と極意技術を遺伝する超古代剣法である。しかし古代剣法の極意を伝え、また刀の置き所よりも心の備えが重用なりと言ってもその理屈の意味合いはなんとなく分かる気がするが、実際の所そのような無防備な姿で果して実戦剣法として機能できるものなのであろうか。そして高野師範はこの構えの何処に戦慄すべき剣法秘技が隠されていると感知したのだろう? 武蔵剣法における驚愕の秘技、必殺剣法の本質に少しでも近づく為に僅かな手懸りからでも順次解析して行こう。

対極の剣法
先ず筆者は武蔵肖像図の秘儀を見抜いたのが一刀流の名人、高野師範であったことが大変に興味深く思えたのである。何故ならば一刀流と武蔵二刀剣法は正に対極の剣術であるからである。一刀流の基本の構えは一本の刀を相手の中段に付ける正眼構えであり、敵躰に刀を突き出し、剣先にまで氣を通わせて敵の氣の動向を読み、また剣尖から氣を迸らせて敵の剣氣を挫き、しかして敵の氣のバリアーを断ち割って一瞬にして敵を葬る、真に烈しき必殺剣法であるが、武蔵剣法は無に構え、敵の発する氣を呑み込んで圓轉の理にて敵に纏わり付き、敵の氣と力を吸収して無に帰し、たちまち敵を征してしまう真に妖しい魔剣であった。
かくした対極の剣法であり、お互いのライバル、天敵同士であったが故に高野師範には武蔵の恐ろしさが誰よりも良く理解できたのではあるまいか。はたまた高野師範は先々の先の攻撃を身上とする撃剣(剣道)の超練達者でもあるが、それだけに武蔵の無構えに安易に打ち込む事が極めて危険である事を本能的にも悟ったのであろう。武蔵の構えは正に、無構えにして構え有り、隙だらけのようでそれは真の隙ではなく、本来全く打ち込む隙のない鉄壁の護りを具現している。

天仰實相圓満
一見隙だらけの構えにして、実は隙のない武蔵の無構え。「天仰(ルビ・てんをあおいだところにある)實相(ルビ・ほんとうのすがたは)圓満(ルビ・すきがない)」との言葉を武蔵は残した。
しかしながら無に構えて本当に隙を無くする事など出来得るものなのであろうか。実際的にかくした構えで武蔵は敵の打ち込みに対し、どう対処したのであろう? この点おいて筆者は、読者自身に対戦者の身となって今一度武蔵の肖像画にじっくりと向かい合い、高野師範の提出した公案と格闘して頂きたいと願うのである。

八方斬り
両刀をだらりと提げた単なる無構え、何処からでも簡単に切り込めそうな隙だらけの姿、しかしここでよくよく考えていただきたい。
無構えと言っても両刀を提げていると言う事は左右の下段脇には両刀が存在するわけであるからここの部分はそもそも最初から切り込む事は出来ないだろう。もし無理をして切り込んでも刀は当然のことながら下段脇(膝辺)で止まり武蔵が逆側の手足を少し進めれば対戦者は突き技で簡単に討ち取られる事となる。真下段からの切り上げを考えてみても、第一に地面が邪魔であるし両刀を少し合わせれば止め乗られてやられてしまう。考えてみれば武蔵の無構えに対して打ち込むとなると上半身部分の約百八十度の角度でしかそもそも最初からあり得なかったわけである。
さらば上段から武蔵像の面に向かって真っ向から切り込めば武蔵を討ち取る事が出来るであろうか。いや安易に真っ向を切り込む事は実の所、これもかなり危険である。と言うのはやはり下段に引っ提げた刀が曲者であり、晩年の武蔵剣法には裏小手斬りの秘技があり、提げた両刀をさっと上げるのみで敵の攻撃を止め敵裏小手を瞬時に斬る事が出来る。しかも敵の切り込みの力がカウンターとなり、武蔵はさして力もいらず打ち込んだ者に自身の力が逆流し忽ち血を噴く事となる。裏小手を切られれば動脈は勿論腕の腱も斬れ刀を持つことすら出来ずに戦闘不能となるだろう。
さすれば対戦者は武蔵の裏小手斬りにかからないように注意しながら体を転化しながら左右から斜めに斬って行けばどうだろう。だがしかしこれも武蔵の二刀剣法にかかっては殆ど不可である。それは武蔵には二刀剣法の究極極意とも言える名高い「十字止め」の秘技があるからである。

應極十字
二刀剣法の十字止め−−。それは武蔵剣法の秘技中の秘技として当時の天下の兵法家たちを震撼させた恐怖の技法傳なのである。武蔵の十字止めに掛かっては杖術の達人、夢想権之助も全く身動き取れずに手も無く破れたと言う(※)。何故に武蔵の十字止めが恐ろしいのか。そもそも十字止めには如何なる術理が内蔵されているのだろうか。それは無に構えた武蔵に対戦者が如何なる方向から打ち込んでも、その打ち込んだ方向に両刀を差し出して止められ、そこから刀を一方の刀で縛られ側面から残りの刀で打ち込まれ一瞬にしてやられてしまう。
十字止めなど単なる鍔競り合いのになるばかりで何処が恐ろしいのかと思われる向きがあるかも知れない。しかし二刀遣いと鍔競り合いをなすのは一刀遣いとしては自殺行為に等しいことを知らねばならない。何故ならば一刀遣いは一刀にて攻防をなさねばならないが二刀遣いは大小をそれぞれ攻と防とに使い分けることが出来るからである。

※ 武蔵に破れた権之助は後に十字止めを破るための技術を工夫して神道夢想流の中に組み込み、それが現在まで継承されている。夢想流は武蔵二刀剣法を意識したのか二刀破りの型が五本ほど工夫されている。(この解説の記述に際し西岡常夫先生から教えと実技演武を頂きました)


武蔵剣法の究極の秘技「十字止め」、それは敵の力を止めるにも殆ど力も要しない大層不思議な技術であった。そんな馬鹿なと思われる向きもあるかも知れないが、これは単純な物理学で有り、鋏の原理と類似している。鋏は単なる刃物とは違い力もいらず二つの刃が組合わさって驚くべき切断力を発揮するが、両刀剣術の十字止めでは摩擦力が働きそこには驚くべき固定力が発現する。左右の合力が互いに作用しその間に挟まれた者は正に縛られた様に身動きが取れなくなってしまうのである。そして二刀剣法者は一方の刀でそのまま敵の刀を固定しながら片方の刀を抜いて敵体を攻めて仕留めることが出来るのであるからとにかく有利で強い。正に一刀遣いに全勝する根本原理はこの十字止めの中にあるのである。そしてまた十字止めのいま一つの素晴らしい所は単に敵を惨殺する技術に止まらず十字止めから敵を自在に制御して刀を奪ったり手捕りになしたり殺活自在の技法の遣いわけが出来ることであり武蔵剣法の本当に優れた部分なのである。

アンテナ
武蔵の肚には強力なジャイロスコープがあり、如何なる躰動をなしても微動だに揺るがぬ巨大な身勢力を備えている。武蔵は『五輪書』のなかで姿勢に対する細かい口伝を残し、また『兵道鏡』ではその見事な身勢極意を「空から縄で吊り下げたる(如し)」と言う風に表現した。また「目付の教え」の中で「遠き処を近くに見、近き処を遠くに見る」極意を解説している。正に肖像図における武蔵の眼光は炯々として鋭く、敵の心魂を貫き、また氣の流れを察知する超高性能の感知器となる。武蔵の両刀は電波の来る方向に向かう受信アンテナの如く敵の氣の攻め所に向かって十字に組んで流れ来る剣氣を受け止める。つまり敵の攻撃が来る方向に両刀を十字に組んで差し出して行けば敵は自己の力で自爆せざるを得ないのである。これでは何処からも打ち込むことが出来ず、受け止められた時は一刀遣いは丸で反撃出来なくなるに違いない……と気づいた時、近代の剣豪、高野師範も武蔵剣法の完成度の高さに両手を差し上げたわけである。

下段から中段
何処にも攻め所のない無の構え、それが分かって安易に打ち込む行く者は誰もいない。しかしそれでは敢えて攻めて行かなければ武蔵に討たれることもなく、引き分けに持ち込めるかと言うと武蔵剣法は恐らくそれほど甘くはないであろう。「何処からでも參いられい」と体を開いた武蔵の無の構え。しかしそれに相手が打ち込むことが出来なければ、逆に武蔵の方から「參る」との声が懸かり、下段から中段に太刀を置き直し、剣尖から氣を発して敵を攻めて行くだろう。武蔵にとっては下段も中段も同じく「實相圓滿」の剣法であり、やはり何処にも打ち込む隙がないのは変わらない。ただ氣で攻められ、自己の体を氣で包まれた対戦者は二刀剣法の間合いの中にはとてもおられず、じりじりと後退するより仕方がなく、そして最後には羽目板にぶつかってへたり込むのである。中年期以降の武蔵の勝負は皆かくの如しであり、敢えて血を見ずとも勝敗を決する位勝ちの絶対境に至っていたと思われるのである。そしてかくした「應極十字之秘法」は単なる対一の小なる兵法のみならず多勢の敵を鎧袖一触する驚くべき大なる兵法の秘法にも繋がってゆく……。それはまた武蔵兵法のいま一つの究極の秘剣とも言える奥深い教傳であるが、おりがあれば再び時間を掛けて武蔵剣法の奥秘の世界を語ってみたいと思うのである。


 

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