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●一日「白道」
古伝剣法の深い世界。そこに至れる者は至って少なく、途中で殆どの者が魔道に入り込む。火と水の大河に呑まれ、間にある細き白道を渡り切るものは殆どいないのであるが、これはこれで当然であり、結構なことと思うのでのである。魔道に入る者は入るだけの理由がある。日本の先達たちが到達した深山高嶺は真に清らかな桃源郷であり、精神の歪んだ現代人が紛れ込むことの出来ないように色々な関門で分別し、道を閉ざしている。

 

●「正心」
日本伝剣法の先達が築いた奥の世界は技術を超えた確かに精神の世界であり、殺伐とした殺人技法を超えた剣法の桃源郷でもあった。殺人剣を超えた至高の剣法。伊勢守や石舟斎は剣法の最後に無刀之位を設け、竹内久盛は捕手剣術を発明し、武蔵は紅葉之太刀を伝えた。武蔵系から出たと見られる長谷川英信流は最後の極意として「大剣取」の体系を制定した。直心影流の最後の秘剣には敵の剣氣を氣で抑える「丸橋」極意を設けたのである。一刀流剣術の達人、山岡鉄舟は最後に無刀流を称えた……。決して歪んだ心で至れる世界ではない。そのことを明言し、極意に至れる唯一の法を直截的に説いた剣士に島田虎之助がある。彼は常に言っていた。
「剣は心也。心正しからざれば剣もまた正しからず。剣を学ばんとする者は先ず心を学べ」と。

 

●「大剣取」
無双直伝英信流が最後に設けたのが「大剣取」の世界である。世界には様々な剣術や刀法文化があると思うが、正にこんな不思議な剣法秘伝を醸成したのは日本のみだろう。現代人が至れないのも無理はない。江戸初期においてここまで高い世界観を構築し、居合剣術秘法として秘伝したが、誰も覚り、至れる者がおらず、故にこそ世界はますます混迷の血膿の中に埋没しつつある……。

 

●「誤魔化し」
世は誤魔化し暈して渡れる程甘くはない。日本の行く末ももっと毅然と、正心を保持して進む必要があると思うが、余りにも重要なことを誤魔化し暈して歪んだ行路を進んでいるように感じられる。世のあらゆる不都合もこの様な部分から起因し、巡り巡って混乱しているのではなかろうか。色々な政治問題も中々解決せず、進展しないのは重要な部分を暈しているからとどうも感じられるのであり、真に不思議な光景ではある。

 

●「苦集滅道」
世は正に「苦」の集合体であるが、苦を滅するに、他力本願的なことしか考えないから全てうまく行かないのだと思う。
全てのことには因があり、原因を取り除かずしての根本解決はないのである。
体の不調も不調になるだけの原因があり、体が歪むのは歪むだけが理由が自己の体の内部にある。余人に按摩をして貰って歪みが取れると思うのが甘いのであり、もっともっと自己の生活や不摂生をふくめて自己の心の歪みを認識し、自己の力で正してゆく必要があるだろう。

 

●「毅然」
現代世界の混乱の解決に軍事的方法論は最後の最後までとるべきではないのは当然であり、他の方法論を出来る限り模索すべきである。経済制裁も必要であるし、徹底的な真面目な討論も重要だろう。しかし例えば拉致問題にしても色々向こうから言われてろくに反論も出来ない現代の日本の論客群も余りにも情けないように感じられる。詭弁ならば詭弁として指摘し、その論理構造を説明すべきである。日本政府が約束破りだと云うならば、何故にその本質を徹底的に調査してその真実を以て反論しないのか不思議に思うのである。間違った約束を誰がしたのか、本当にそんな約束があったのか、その時の状況や原因、理由もふくめて調査し、真実を明らかにし、その犯罪性における特殊状況を言い訳でも良いから解説し、理解を求めるのが当然のことだろう(その程度のことも出来ないとは余りにも……)。
ものの解決の方法論を釈迦は「道」、すなわち、「八正道」を説いた。その第一は「正見」であり、正しい認識を持つことが何よりも必要なことかと思うのである。

 

●2日「因果」
人が生きたり死んだり。元気であったり病気になったり、ある意味ではこれほど不思議なことはなく、ここに重要な問題提起がある。世の成り立ちは全て因果法則を基盤にしており、その本質を見つめることは重要なことであり、それが人類の学術的探求における根本目的であろうかと思うのである。世の学問、科学もしかりであるが、疑似科学に囚われては真の追求が曖昧となるだろう。その意味も含めて世の科学は未だ未完成であり、西洋医学も東洋医学も不完全であると感じられる。ただ比較すると東洋医学は疑似科学であるが、西洋医学(本来は現代医学)の方が未完成ながらそれなりに真因追求の努力はある程度認められる。管理人は故に東洋医学系は殆ど信じていない。現代医学も問題はあるとは云うものの必要性に応じては利用し、その科学的見解については傾聴すべきであると思う。
東洋医学に就いては殆どすべてが基本的に仮説と疑似科学で成り立っているので実際的に頼るのはかなり危険があるのではないかと感じられる。

 

●「現代医学と古典医学」
西洋医学、東洋医学を対比、表現するのが少し可笑しく、もっと正確な分別をなすならば「現代医学」と「古典医学」「民間療法」などがあると思う。現代における武道に当てはめると「現代武道」「古典武道」「新興武道」に当てはまるだろうか。ただ古典武道の分別が(極めて)難しいように、真の「古典医学」の分別は本当に難しく、素人には殆ど分別が出来ないだろう。現在古典武道、古武道と言われているものが殆ど真の古典武術ではないのと同じく古典医学と称しながら偽物も多いだろう。しかし一般に分別できないとすると偽物、本物と言っても無意味ではないと云う論もあるだろう。とはいえ文化を継承するのは皆人間であるのだから、先ず人をみて、ある程度の情報を集めながらも体験し、自己の責任で選択すべきである。

 

●「古典医学」
単純に古典医学と述べたが、これは現在本当に存在するかとどうか危ういと云うレベルの存在であり、それは古典武術の存在と同じようなレベルだろう。単純に古典鍼灸学や漢方薬法がそれではなく、その衣装を取り除いた後の奥の奥に真の古典医学があるに違いない。その最終極意に至る為に様々な装飾と衣装があり、そこに一つの入り口があるといえるのである。しかし一般には殆どがその入り口で終りだろう。別の入り口も、また近道もあることはあるのであるが、それに気づく人は殆どなく、そこから入る者は至って少ないのが不思議である。

 

●「秘すれば花」
真の古典医学とは何か。その本質は深遠にして静謐、微妙であり、説明することによってその本質を壊すことになる。武術の最高秘伝と同じこと。自己が身の変調、病を通じて探求し、自己の努力で至る所に意味がある。その意味では病も覚りに至る為の極めて重要なアイテムといえるだろう。

 

●4日「形と技」
現代武道の現状は形の不在である。柔道、剣道には形はあるが、実際上殆ど稽古されていない。合気道には形はなく、形をある程度稽古しているのは伝統空手か居合道、杖道くらいだろうか。しかしそれらも近代的な造られた制定形が中心となっている。武術極意を伝える古伝形を伝えるのは本当に少ない。しかし形と技とはやはり違うものであり、技の歪みを正し、その極意伝を本当に意味で伝えるのは古伝形である。ここ何年かは琉球拳法の古伝型や居合形を徹底的に錬磨しているが、両者は独演形が中心と云う特徴がある。独演形は直接の技術に結び付き難いととも言われるが、逆に正しき独演形を演ずる様々な極意口伝の部分が,技のみの錬磨では掴みにくい極意伝を大変に綺麗な形で保存しており、ここに重要な意味と利点がある。琉球拳法にも小手返しはあり、「抱き卵」の脇構えで表現されているが、その手法が確かに武術極意に通じている。ここまでの深い教えは技のみの錬磨では至りにくいだろう。いや型が表現する一の腕の独特の遣い方と教えがなければ実戦としては極めて危険である。

琉球拳法の型が内蔵する技術は合気系柔術と同質のものがあるが、独演口伝が加わった深いものであり、技の構造は似ていても内容的には似て非なるものとなる。

 

●5日「関西系」
武蔵が作州生誕だとすると。近畿圏から僅かに外れるが、関西圏の武人であることは事実である。関西系の人間だとするとそれなりに特徴があり、顰めっ面をした武蔵像とは違う様々な面があるかと思う。尾張に残る伝書写しを見ると武蔵は洒落のめしたような戯れ言を書いており、正に関西系の人間である。名前自体がしかりであり、弁之助を「むさし」と読み、また「弁慶」のいいから「武蔵」となったとも言われる。武蔵坊弁慶だから当時は「義経」を称した。

また当時の鍔名工に埋忠明壽があるが、彼の名品に「武道」と「葡萄」を引っかけたかと思われる葡萄象嵌の鍔があるが、それを一歩進めたのか武蔵の著名な画に葡萄と栗鼠を描いたものがある。これは勿論「武道に立っす」と云うことであり、武蔵の心情を顕している。このテーゼは後の武道界に一つの文化を形成し、「葡萄と栗鼠」の構図は鍔や武器象嵌に多く用いられたモチーフとなっている。自己の大小二刀遣いを圓明流と称し、日月に二曜に譬えたのも関西系の発想だろう。作州田舎で宮本家は激しい稽古をなしながら、稽古の後は酒を組み替えし武芸と文化談義の中で洒落のめしたようなことばかり言って腹筋をもみほぐしていたに違いない。これが関西系の一つの特徴であり、灘の造り酒屋の息子は東京に出て江戸柔術を学び、そこから講道館柔道を造り上げたが、その稽古の後は灘の酒で酒盛りをして、関西系の洒落ばかりを飛ばすと云う一つの伝統を造り上げ、それが現在まで通じている。
現在の柔道、そして吉本興行のセンスまで宮本家の洒脱した文化が通じているとするとこれも一つの武術史綺譚であるといえるのではなかろうか。

 

●6日「当然」
昨晩はまたハリウッドの映画賞にノミネートされたと云う評判の日本時代映画をテレビでみたが、なるほどこれでは受賞できないのは当然である。こんな他愛のない話しで賞を獲ろうと思う方が厚かましいだろう。毎度思う事だが邦画は余りにも冗長で退屈過ぎる。何とかならないものか。テレビのコメンティターでやっと一人、ハリウッドの大評判のファンタジィー最新作を(遠慮しながらではあるが)「映像は凄いが話しは他愛ない……」と云うような意味合いを述べている者があった(正直な人である)。ただこれは対比して『ラストサムライ』を褒めた言葉に繋げていたが、これは果たしてどうだろう。観ていないので何ともいえないが余り期待しない方が賢明だろうかと思う。

 

●「不学」
現代武道は古伝武術を母体として成立したと人は云うが、しかし現代武道の開祖となった者で日本武道を本式に学んだ者は実の所、殆どいないのである。嘉納翁は天神真楊流をかじったが、僅か三年の修行であり、残念ながら全伝を受けたわけではなかった。後に起倒流を学び、形の上では免許を受けた事なっているが、残る免許証をみてみると単なる許し証書で、江戸期の本式の秘伝書を本格的に伝授されてはいない。恐らく短期教伝を受けて形式上の免許を頂いたのだろう。後は心眼流の柔と棒を少しかじったとも言われるが、正に手解き程度であっただろう。日本武道の本体ともいえる剣術も全く学んでいないし、これでは日本武道を本格的にちゃんと学んだとは言い難いだろう。しかし嘉納師範はある程度は本式に学んだ部類であり、あとの他の現代武道の開祖たちは全くと云うほど本式の日本武道を深く学んだ者が殆どいないのである。僅かにかじったもの、本式の伝統武道ではなく、明治以降の新興護身術を講習会で学んだのみの者などが現代武道を強引に形成していったわけである。その様な中で剣道のみは少し事情が違うのであるが、剣道の問題はまた別の日に考察してみよう。

 

●7日「空手家たち」
現代武道の大きな所には近代空手がある。少し各開祖たちの武術修行について考察してみよう。
船越翁は正統な古伝唐手を学んだが、しかし安里師範の得意であった示現流剣術は学んでいないのはなぜだろう。安里師範は示現流の達人であったのだが、この点少し残念である。しかし琉球の武術を長年に渡って錬磨されたことは事実である。ただ奥伝型ともいえる「ウーセーシー」は修得していなかった。琉球古武道の立場からも「周氏ノ棍」くらいは修得していたと思われるが、余り他の古武道をマスターしていたとは言い難い。
宮城長順師範は那覇手の全ての伝授を受けている。ただ古武道は興味がなかったのか不思議に殆ど学んでいない様である。琉球には本土と同じく剣術や槍術などの古流武術が各流存在した筈であるが全く残っていない。明治以降は素手の拳法の修得に殆ど限られた感がある。その様な中で琉球武術を広範囲に学んだのは摩文仁賢和師範である。ただ多くは交換稽古で会得したのか余り伝授系が明らかでないものが多い。また本土武術も大分研究されたと言われるが、あくまで研究であって正統な流儀をマスターしたと云うことはなかったようである。
明治以降本土武術が分断され、大動脈の多くが途絶したのと同じく、琉球でもそれほど武術伝授が王朝時代ほど正統に継承されたわけでない。ただ皆苦労されながら嘗ての名人技を残そうと努力された事は尊い事かと思うのである。
その意味で近代空手こそが日本の現代武道の中でも最も古典型を重んじていると評価する事が出来る(伝統空手に限るのだけれど)。

 

●8日「興亡」
戦後空手道が大きく伸してきて本土武術を凌駕した。現在でも剣道、柔道が衰退する中で空手はそれなりに隆盛しているようである。現在の隆盛は拳法格闘技への憧れと云うことかと思うが、戦後の隆盛の時期は空手には日本武道が棄てた伝統型文化がちゃんと存在し、それに当時の武道修行者が興味を以て学んだのであるからだと思う。
実際今でも地方のどの道場でも合気道や居合道、柔道、剣道などよりも空手道の方が入門者がかなり多いようである。
今の世で気軽に学べる武道で日本伝統武術型を学べる武道など全くない。その意味で空手道の方が確かに古典に近いかも知れぬ。いや空手の全体像としてはやはり近代武道であるが、古典の断片が型に中にある程度窺える事は事実である。

 

●「居合道」
近代居合道の中興之祖となった人脈が古伝居合を本当に学んでいたかと云うとこれは極めて厳しい。中興之祖と言われた大江正路師範の伝えたのは無双直伝英信流の極一部である。特に組太刀は殆ど伝授がなされなかったのだと考えられる。「いや、大江師範が纏めた七本の組太刀を伝承した」と反論があるかも知れない。しかしこれは古典ではない。何故に七本型に纏めたかといえば古典の太刀打之位を学んでいなかったからと考えられる。無双直伝英信流こそは優れた組太刀体系を纏めた優れた流儀であるのだがその意味で近代居合道と古伝居合は全く異質なものである。ただ独演形は比較的綺麗な形で残った。ところがそれを現在居合道が伝えているかと云うとその前に近代制定形が稽古の中心となっている。
中山博道師範の場合は土佐人でなかった為に独演形と雖も正統な伝授を受ける事が余り出来なかったようである。独演形の一部を学び、恐らく奥居合は殆ど学んでいなかったようである。
いずれにしろ現在の居合道を通じて
古伝居合術を学ぶのはかなり困難である。

 

●「杖道」
現代武道の祖の中でもっともちゃんとした道統を継承していたと判定できるのは「杖道」を打ち立てた清水隆次師範であっただろう。確かに清水師範は神道夢想流杖術と付属する黒田藩の捕手系武術の全伝を受けた達人であった。だが大衆化の為に古伝形の前に近代制定形を設えた。現在「杖道」といえば制定形が中心となっている。奥には古典形がある事はあるのだが中々に入ってはゆけないだろう。何故なら伝授システムは既に古式ではなく、殆ど段級制度を取り入れてしまっているからである。それはともかく清水師範が伝えた黒田藩武芸の全伝は現世に伝わらず、一達流捕縄術は失伝、一心流の大鎖鎌術と一角流の鎖十手伝は伝えるものが殆どいない。本当にもったいない事である。

 

●9日「剣道制定」
現在の剣道は維新以降、何人かの剣術家が集まってルールと形を制定したものである。だから特定の開祖がいるとはいえない。また全国の剣術家がこぞって集まって造ったと云う程ではなく、一部の流儀の正に何人かが形成したものと思う。
制定したのはちゃんとした古伝の剣術家たちであったが、剣道を本格的な武術と云うよりもあくまで大衆化の為にかかる形態を採ったと思われる。ここら辺の推移は安易には忖度でき難く難しい問題がある。ただ当時の剣術家の意識は伝統剣術新興の為に皆が共通して学び、また位を統一する事を考えたのだろう。そして剣道の普及と教育界への進出とは別に真の伝統剣術は個々の道場で自己の子飼いの門弟のみに伝授しようと考えたと思われる。ただこれは最初の思惑であり、事はそううまくは運ばなかった。殆どが撃剣稽古が中心となり、古伝形は疎んじられ古伝剣術が失われてゆく。それに拍車をかけたのが戦後の流れと風潮であり、古伝剣術は残念ながら殆ど失われわけである。

 

●「教育界」
明治以降の武道家たちは古伝武術を残すために教育界進出を考えたが、古伝武術をそのまま学校教育の場に写す事は不可として古伝武術を潤色し体育的に作り替えて教育界に入っていった。この方法論は功罪半ばする難しい問題がある。管理人自身は古伝を崩すのであるならば、そこに心はなく、進出する意味合いもないと思うが、しかしまた底辺もある程度必要だろう。
それより先に古伝その儘が教育界は入っていくことが本当に無理かどうか考えるべきだろう。これは物理的は絶対不可と云う程ではなく、実際馬庭念流などは地元高校に入っているし、直心影流薙刀もいま大学授業の中に入りつつある。金沢工業大学では長尾流が入っている。またクラブとしては竹内流が大学に入っている。
この様なことも結構なことであり、大いになされるべきであるが、実際的の制度としては難しい問題があるだろう。古伝武術の真偽判定が本当にある程度のレベルで出来る鑑定士は筆者の知る限り日本にほんの数名しかいないのだかから。

 

●17日「階梯」
武術を基盤とする古流武術も一般化することが絶対に不可と云うことではない。何故ならば古流武術にも階梯があり、一般化できる初伝の部分も保有している。基盤となる最初の教伝は極意ではあるが、武術とは離れた所にある。それを真に武術とするには永い道程の果ての世界に入らねばならず、それこそが正に道だろう。
古伝武術は一般化が無理……と思い込んだ所に維新以降の武術家の最初の誤謬があったのかもしれぬ。

 

●「制定型」
いやそれが誤謬かどうかは微妙であり、古伝武術は教育的であったが、マスプロ的ではなく、商業的でも観賞的でも、組織化的でもなかった。維新以降は武士階級は撤廃され、教育も替わり、平民が武術を学ぶ過程において武道を変容させていったことは事実である。しかし本当に武道が商道となったのは戦後からのように感じられる。

 

●18日「時間帯」
一般社会人の仕事時間帯がかなり変わって来ており、かなり遅くまで営業する見せが多くなった。一流デパートも八時まで営業し、大型書店も十時まで開いている店がある。以前からそうであったのではなく、ここ数年二時間も延長して営業するようになった。世の移り変わりで致し方ないが、これでは従業員も仕事以外の文化に触れることも出来ないだろう。日本の文化が低くなるのも当然のことである。

 

●「書店」
小型書店は成立が難しくなったが、大型書店すら経営が難しいことであるらしい。店舗を構えて営業してゆくのは難しい世の中になったわけである。しかしながら難しいと云うことは世の中の移り変わりで旧態依然では不可と云うことであり、これは当たり前のことで、そこに経営努力が必要であり、それが出来ずに滅びることは当然であるだろう。これは古流武術の継承の有り様にもいえることかも知れず、考えさせられる。ただだからと言って内容を変容するわけにはいかず、安易なことはやるべきではないと考える。

 

●「拮抗」
伝統空手は低迷し、フルコン系が伸びて力が拮抗しつつあると云う。伝統文化を継承しないものの興亡は感知するものではないが伝統空手が低迷してゆくことは残念なことである。管理人は現代伝統空手にかなりの不満をもつものであるが、それにしてのある程度の古伝文化が含まれていることも事実であり、その意味では非常に惜しいと思うのである。ただ一ついえることは伝統空手も伝統部分の一部の継承であるために実際技術と連動できず、いま一つの魅力が失われているように感じられる。

 

●19日「刀装」
今は刀装に凝っており、かなり鞘造りや柄巻、鍔造までをこなしている。鮫皮や頭シトドメまでを用いて本格的に仕上げてゆくのはそれなりに楽しいものである。柄巻も本牛革を用いている。革の柄巻は確かに魅力的である。

 

●「掟」
刀造りには色々掟があり、素人では中々に入っていけない世界である。しかしそれでは現在の職人たちが掟を護れているかと云うとこれもどうも中々に出来ていない部分が多いようである。武術界と同じく正しいものを伝える者が殆ど滅亡しつつあるのだろう。
その意味では素人が手さぐりで正しい世界に入ってゆくことも価値があるのではないかと思うのである。

 

●「体験」
実際に柄巻をなしていると確かに細かいことが気になる。目貫の位置、方向性、裏表の区別、鮫皮の星の遣い方、シトドメへの入れ方。現在の職人たちもかなりいい加減な仕事をしている者も目立つようである。「模擬刀の拵えがいい加減なのは当たり前。真剣の拵え職人をみるべし」と云う論もあろうかと思うが真剣拵えの職人もかなりいい加減なものをみることも多い。そしていま一つの問題点は職人の料金がかなり不明確であり、どうも適正価格になっていないところがあり、その意味ではまともなランクわけも難しくなっていると思う。

 

●「適正価格」
適正価格と云う問題は重要なことであり、これからの世の中はこれを疎んじてやっていけない、いややってはいけない世の中にしなければならないかと思うのである。それが現在の情報化時代になって問題が浮上してきたのだと思い、その点はある程度結構なことかと思う。その意味でデパートや老舗の古い経営法は不可であり、世の中に存在する必要のないものは消えて無くなる運命であろうかと思うのである。

 

●「情報」
適正価格の問題は難しい。世に販売店と購入者がいて、双方が納得するならば、それが適正価格と云うならば一面の真実ではあるが、ここに情報と云う要素が入り込むとかなりちがってくる。原価百円のものを一万円で売るのは常識的に不当と感じるし、その原材料を加工して商品になすならば別として単にガラスケースに入れて綺麗な包装をなすだけでは如何なものかと思うのである。それに近い商売をしてきたのが現在までのデパートや老舗(と言われる店)であり、これからは生存も難しくなるのではなかろうか。
しかし本来の真の老舗は単なる卸やさんではなく、製造技術まで保有して細かい注文にも応えられと云う利点があり、その中には入らない。しかしどうも永い営業の中で経営者も代替わりをして、技術をまでを分離して単なる卸やさんになった老舗がどうも多いようなのである。デパートもしかりであり、単なる販売員を要請して無駄な人員を残しているだけではこれからはやっていけない時代だと知らねばならない。これは武道界もおなじであり、技術指導も出来ない組織の長が会計計算ばかりなしても武術文化は低迷するばかりである。

 

●26日「杜撰」
昨日は偉人の裏側の真実に光を当てる番組の始めの部分を少しみたが、最初に巌流島の検証があり、その杜撰な造りに驚かされた。番組の趣旨は歴史的真実をその儘少年たちに伝える事の是非を考える番組と云う事になっているが、しかしその是非を問うにしてもそれが真実の真実であってこそ意味がある。それが少なくとも巌流島の再現においては余りにも胡乱、杜撰、お粗末な造りであり、余りにも間違いが多すぎる。明らかな間違いを少しあげよう。
@「巌流島を伝える最古の記録『二天記』」……勿論とんでもなく間違いである。
A「吉川英治が小次郎の年齢を十八歳とした」……勿論そうではない。小説は武蔵のさほど違わぬ年齢で描いている。『随筆宮本武蔵』でも「十八歳説」を常識的な立場で否定している。
B「何故に十八歳となったか」……解説は殆ど出鱈目、真実は『武公伝』→『二天記』の推移の過程で意味合いを取り違え十八歳説を固定化してしまったのである。
C「真実は小次郎は七十歳」……そんな馬鹿なことなくこれは一文書に拘った強引な一説であり、研究界では殆ど否定されている。
D「小次郎敗れたり」……『二天記』によると「小次郎負けたり」が正しい。
E「長寸刀を右肩に背負う」……このスタイルは古典文献にも吉川武蔵にもない。古典文献は背負いの描写はなく、吉川武蔵は普段太刀を背負っていた。ただ巌流島のおりは太刀を打刀に拵え直し、腰に差しているはずである。
これでは後の番組内容も不安になる。真実一般化の是非を問う番組の基盤が杜撰では全く意味がない。年金納付を糾弾的に訴えかけるイメージ女優が年金未納者であったというお笑いに似て余りにもお粗末である。
ただテレビとはこの程度と見るならばその通りであるが、某武道の専門誌で同じようなレベルの論説があるので無理はないのかも知れない。 


●29日「お笑い」
テレビメディアは余りにも低俗な番組が余りにも多く。幼稚なお笑い番組は見るに耐えないし、実際殆ど見ると事はなく、そもそも実際の世の中そのものが「お笑い」的なものが多く、お笑い番組など全くみる必要がないように感じられる。
泥棒を捕まえる警察が闇手当てで操作費を横領する大泥棒であると云う大喜劇。
国民年期の未納を糾弾するイメージ女優が年金未納者であったと云うお粗末。
そして精神性を説く武道家が殆どが全くの人格破綻者であると云う大矛盾。
現し世と云う世界劇場で演じられる一大喜劇ほど面白いだろう。
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