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●武蔵剣法との出逢い2「稲村傳二天一流」 小松先生が伝えられていたのは肥後の山東家に伝承した山東派二天一流であったが、その後東京の稲村清師範がおられることを知り、自宅を訪ねて、取材させていただき、伝承される形の全てをご披露いただき、伝承口伝も聞き書きを取らせて頂いた。稲村先生の系統も小松先生と同じ山東派であったが、稲村先生は先々代の青木師範に戦前に師事されており、古い時期の二天一流の原型を伝えておられたのである。そして稲村先生は二刀5本と一刀12本しか伝承しておられないことが分かった。これが江戸期の古い体系であり、また二刀5本も古い形である。また調べてみると武蔵が伝承したのは二刀5本のみであり、一刀傳は少しあとに付加されたものであることが判明した。そして小太刀傳は戦後青木先生が付加されたものではないかと思われる。 ということになると武蔵が遺したのは二刀5本「5法」のみということになるが稲村先生を通じて武蔵傳の古傳形が理解できたことは有り難かった。 また所沢の三上先生などに伝えられた二天一流の技術などの比較により山東派の技術の全体像、付加と変遷が理解できる様になった。小太刀傳は江戸期の古典ではないが管理人もそれを理解した上で一刀傳、二刀傳、小太刀傳を出来るだけ古傳形にこだわりながら伝習をつづけていった。しかし山東派のみの稽古では剣術体系としてやはり少し物足りないように感じられた。
稲村伝二天一流3 |
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